文章教室
ありがとうの一杯
今、瀧村 愛子(たきむら あいこ)さんは穏やかな気持ちで過ごしている。これまで支えてくれた家族に囲まれ、幸せな時間を過ごしながら。そして何より、お客さまへのありがとうを感じながら。
瀧村さんが働いていたのは、トスク本店の一階にあった「鳥取珈琲館」。昭和四十八年にご主人とオープンさせた。
瀧村さんは、結婚を機に長崎から鳥取へ移り住んだ。知り合いもいない鳥取で始めた、自家焙煎の珈琲店。それが半世紀近くの間、鳥取で多くの人に愛される憩いの店になるとは。お客さまに豊かな時間を提供したい。瀧村さんの、珈琲に対するひたむきな思いからだった。
二人で始めた珈琲店だったが、その二十数年後ご主人はラーメン店を開業する。それからは、瀧村さんが一人で店を守った。三人のお子さんのお母さんでもあったが、常連さんからも「ママさん」と慕われた。お店はいつも珈琲豆の芳醇な香りで溢れ、瀧村さんの大切な空間だった。
珈琲館は、常連のお客さんで連日満席。常連さんは来店の時間帯が決まっていて、常連さんの顔を見れば時刻が分かるほど。珈琲館を訪れるのが、常連さんの日課でもあった。お客さんも、珈琲館に足を運んで二~三年では新入りといわれるくらい、常連さんは何十年と通っており。
「珈琲の豆と香りに埋もれて、また三人の子どもたちの笑顔とともに過ごした日々は幸せでした」瀧村さんはそう話す。
瀧村さんは、納入先のUCCから表彰を受けたこともある。鳥取の珈琲といえば鳥取珈琲館、という人も多いのではないだろうか。
広島で修行の後、彩子(あやこ)さんもこの珈琲館で働き始める。彩子さんは、母である瀧村さんのことを常連さんから聞くことも多かったそうだ。
「母は朝早くから珈琲館へ行き、休んでいる姿を見たことがないんです。だから、常連さんのほうが母のことをよく知っているかも」
珈琲館は、瀧村さんにとっても大事な場所だった。
平成最後の年、珈琲館は閉店した。代替わりのタイミングからだったが、母としてお店の「ママ」として、働きづめだった瀧村さんに与えられた休みなのかもしれない。
現在、瀧村さんはトスク本店のすぐ横にオープンした「ザ・ミルズ」に携わっている。鳥取珈琲館から引き継ぎ、令和二年にオープンした。
ミルズは女性一人でも入りやすい落ち着いた店内で、鳥取珈琲館とは雰囲気がかなり変わった。珈琲館の常連さんには、おしゃれすぎるとも映るらしい。それでも「ママさん元気?」と、瀧村さんを気にかけて訪れる常連さん、ご友人も大勢いるようだ。
瀧村さんの心残りは、常連さんへ満足のいく挨拶ができなかったこと。珈琲館の閉店が急で、多くのお客さまと語り合う充分な時間が持てなかった。鳥取珈琲館のお客さま一人ひとりに、心からの感謝を伝える。それが、今の瀧村さんにとって叶えたい想いだ。
「一人娘だった私には、珈琲館のスタッフたちが自分の姉や妹のような存在に思えて。スタッフも同じ気持ちで働いてくれ、本当に助けられました。長年のスタッフに感謝です」
三人のお子さんに囲まれ、瀧村さんの珈琲人生は幸せだった。
「あなたたちも、これから楽しく珈琲と生きてください。全国メーカーの珈琲業界において、鳥取珈琲館ここにありです」
瀧村さんの、お子さんへの力強い言葉だ。
「有限会社鳥取珈琲館」は、昭和四十五年創業から五十三年。「ザ・ミルズ」と「トットリコーヒーロースター」の二店舗がその歴史を受け継いでいる。
ミルズで提供される珈琲は、鳥取県内で唯一「有機JAS認証」を受けている。お客さまに安全・安心な珈琲をお届けしたいとの思いからだ。人との接触を避けるなど閉塞感が漂う昨今だが、珈琲でお客さまを元気にしたい。どんな状況でも、笑顔でお客さまをお迎えしたい。瀧村さんの前向きな気持ちは変わらない。
令和五年十二月、ザ・ミルズは三周年を迎える。鳥取珈琲館からミルズに受け渡された珈琲。それは、お客さまの心を満たし続けた瀧村さんの人生そのものだ。
あなたの飲んでいる珈琲に、歴史はありますか。あなたの飲んでいる珈琲は、誰が淹れてくれたものですか。
トスク本店で、珈琲を提供し続けた半世紀近くの感謝を込めて。鳥取珈琲館を日常にしてくれたすべてのお客さまへ。
「これまで本当にありがとうございました」
鳥取珈琲館から最後の一杯です。
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